兵庫県政界で重要な役割を担ってきた井ノ本知明氏。
斎藤元彦知事の「最側近」として知られる彼の現在が注目を集めています。
そこで今回は、
- 井ノ本知明氏の経歴
- 井ノ本知明氏の現在の最新情報
について、まとめていきたいと思います。
1. 井ノ本知明氏のプロフィールと経歴

- 井ノ本知明氏は、兵庫県出身で県庁に30年以上勤務し、数々の要職を歴任
- 斎藤知事の側近グループ「牛タン倶楽部」のメンバーとして、知事の信頼を受けて県政の中枢を担ってきた人物です
基本プロフィール(生年、年齢、出身地など)
- 名前:井ノ本知明(いのもと ちあき)
- 年齢:56歳(2025年時点)
- 出身地:兵庫県
- 学歴:大学卒業の可能性が高いが、詳細な学校名は不明。
兵庫県庁入庁から要職就任までの経歴
1991年頃に兵庫県庁に入庁し、最初は一般職員としてスタートしました。
その後、人事課や農政環境部などを経験し、2016年から2019年ごろには、企画県民部の地域創生局で地域創生課長を務めています。
2021年には、地域創生局長や新県政推進室の次長、企画県民部の秘書広報室長など、いくつかの重要なポジションを兼ねるようになります。
2023年には県民生活部長に就任。
さらに2024年4月からは総務部長に。
県庁内の人事課などをまとめる、いわば人事のトップとなりました。
井ノ本知明さんの今は?現在の状況とこれまでの経緯

総務部長から“総務部付”へ…異動の背景とは?
ところが、そのわずか3か月後の7月末頃から、体調不良を理由にお仕事をお休みすることに。
その後、ご本人から「病気療養のため異動したい」と申し出があり、2024年8月19日付で“総務部付(部長級)”というポジションに異動されました。
この異動があったのは、ちょうど斎藤知事に関する告発文書の問題など、県庁がかなり揺れていた時期。
そうした中での出来事だったこともあり、注目を集めました。
2025年5月27日には懲戒処分も…その内容とは?
その理由はというと──
斎藤元彦知事に関する“内部告発文書”を作成した元県幹部のプライベートな情報を、井ノ本さんが外部に漏らしてしまったというものです。
この情報漏えいが問題視され、懲戒処分という厳しい対応がとられました。
体調はどうなってる?現在の療養状況について
2025年5月時点でも、まだ復帰はされておらず、引き続き療養中とのことです。
今後、職場に戻る予定は?
今後の健康状態や、処分後の対応などを踏まえたうえで、復帰の可否が判断されるものと見られています。
井ノ本知明さんの県庁での役割は?

- 井ノ本知明さんは、兵庫県庁における行政運営や人事、政策の調整など、幅広い分野で中核を担っていた人物
- 斎藤知事を支える“最重要幹部”の一人として知られていました
総務部長としての主な業務
井ノ本知明さんは、兵庫県庁の総務部長として活躍されていました。
このポジションは、県庁の中でも中枢を担うとても重要な役職。
- 人事管理や制度の設計
- 予算のコントロール
- 組織全体の運営
総務部には、人事課・総務課・秘書課・地域振興課など、県庁の要ともいえる部署が集まっていて、それらをまとめるのが総務部長の仕事。
井ノ本さんは、その全体を統括する責任者として、日々多くの判断を下していたとみられます。
とくに話題になったのが、斎藤知事にまつわる内部告発文書の問題。
このときは、人事課を管轄する立場として、内部調査の指揮や対応にも関わっていたようです。
実は“人事のキーマン”でもあった
総務部長は、人事の実権をほぼ握っていると言ってもいい立場。
職員の採用・配置換え・昇進といった人事全般に強い影響力を持っています。
そのため、各部局をまたいだ政策課題にも対応しつつ、適材適所の人材配置を進めるという、
いわば「人を活かす司令塔」のような役割も果たしていました。
また、幹部人事の見直しや、現場の声を反映させた“県民目線の県政づくり”などにも深く関わっていて、いわゆる“裏方の実力者”といった立ち位置でもあったようです。
外部団体でもマルチに活動
井ノ本さんは、県庁の仕事だけでなく、外部団体でもいくつかの役職を兼任していました。
たとえば、
- 一般社団法人 移住・交流推進機構(JOIN)
- 公益財団法人 兵庫県スポーツ協会
- 公益社団法人 兵庫県畜産協会
といった県関連の団体で、地域振興や産業支援といった分野でも存在感を発揮していたようです。
知事の“最側近”として信頼厚い存在に
斎藤元彦知事が2021年に就任したとき、井ノ本さんは新たに設けられた「新県政推進室」の次長に抜擢されました。
この部署は知事直轄で、県政の方向性を左右するような重要な役割を担っています。
以降は、斎藤知事の“最側近”として、政策の実行や人事、危機管理といった幅広い分野で中心的な役割を果たし続けてきました。
知事からの信頼も厚く、「牛タン倶楽部」と呼ばれる幹部グループのメンバーとしても知られています。

県政のキーパーソンとして、重要課題への対応や幹部人事の調整など、まさに斎藤政権を実務面で支える中核的な存在だったんですね
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